■■■  阿蘇の野焼は、農耕文化の原点  ■■■

 阿蘇に、春の訪れを告げる野焼きは、春の彼岸を境に晴天の日に実施される。この野焼き作業は、その地域に住む人々の壮絶な苦労と作業形態において実施される。
広大な草原に火が放たれ、一挙に草原を黒色に染めて行く。外部から見れば一見壮大な野焼きも、極めて危険な仕事であり、燃え盛る炎は高温高速で人の息を絶つ位の勢いでややもすると生命を奪われる危険性を伴っている。最高温度は600度〜800度にも達し、火速は時速180キロにも及ぶと言われている。
 野焼きは、前年の枯れ草を効率的に焼却除去し、火に弱い低木類の「アキグミ・ノバラ・ウツギ」等の侵入拡大を防ぎ、地下茎が発達した火に強い草を選択的に残す作業で粗放的省力化の技術である。又、野焼きにおいて枯草や牛馬の食い残した草を焼却する事で、春の若草の新芽立ちを良くし、優良草地にする効果がある。この野焼きされた草原は、農業生産の基本であり、草を利用した堆肥作りを行う事において、水田や畑地に還元して作物の多収を求める大切な作業である。
 この様な作業を基本に、阿蘇の草原は「人的営み」として「牧草・採草・茅切り」等の作業があり、農耕の季節的な作業の繰り返しによって、維持管理されて来た。しかし隣接する森林などもあり、強風や乾燥した日の野焼きは、その山林に延べ焼きする危険性もある。延べ焼きを防ぐ為の作業として輪地切りがあり、その作業過程を列挙した。

■■■  輪地切り(防火帯づくり)  ■■■

 輪地切りとは、隣接する他の牧場や森林地帯に野焼火が延焼しない様に作る。草原を帯場に草刈をして、その草を焼却し放火帯「無草地帯」を作ることである。この仕事は8月中旬から9月上旬頃(青草の時)に刈り込む。隣接する境界や森林の境に巾8メートル〜10メートルの帯状の草刈をし、その後刈られた草を焼却して不燃物地帯を作り、延焼を防止する大変な仕事である。この作業は至って急斜面でもあり、足場の悪い地形も多く、更には草刈機6キロを背負っての作業であり、危険を伴う事も多く、重労働である。
 最近では、その重労働の作業を軽減する為に色々な方法の防火帯作りが試みられている。例えば巾30メートルに電気牧柵で囲んだ中に、牛を放牧して、牛の食の力で防火帯を作る、モーモ輪地切りや、和種馬(道産子)馬を放牧、斜面での山羊放牧等による防火帯作りなどである。いずれも限られた牧野である。又、ラジコンを利用した草刈や、グリン・ベルト(冬枯れしないクローバ)の播種においての防火帯作りが取り入れられているが、多くの牧野組合が昔ながらの輪地切り作業が主である。
 今日では、都市住民の参加によるボランティア等の支援で輪地切りが実施されている組合も多くなった。こ輪地切りの阿蘇郡の総延長は500キロと言われており、その長さを日本列島で比較すると熊本から静岡までの距離に匹敵する事になる。阿蘇の農民は草原維持のために、毎年この長さの「輪地切り」をしているのである。

■■■  土累「とも」草原に営々と続く万里の長城  ■■■

 昭和初期の頃においては、今日の様に、有刺鉄線等が無いために土累が作られた。放牧・採草の効率を良くする為に土累を築き作業効率や放牧・採草管理を容易にした。又隣地との境界でもあった。この土累作りは先人の偉大な知恵であり、大きなエネルギーであった。土累の形態は巾1.8メートル、高さ1.8メートル土累上部60センチの跳び箱状の土累である。一人が一日にメートル程しか完了出来なかったと言われている。
 現代の人件費に換算すると約1万円ほどの日当であったと言われている。かなり高額な賃金であったと推測される。それだけ重労働でもあった事が伺われる。今は草原の中に長い年月の中で、風化され知る由もない「土累」で有るが、農耕と畜産、営農の基本を作り得た大きな事業の一つである。先人の汗と苦労の結晶での歴史的遺産であり又文化でもある。後世に永く伝えたい。

■■■  刈干切り「秋彼岸頃」  ■■■

 牛馬の冬期の飼料として、刈干し切りがある。刈干し切りの場所は人家より遠い為に草泊「仮の小屋」を作り、そこで寝起きしての作業が要求された。
 刈り取られた刈草の運搬においては、牛馬の背に負わせての作業の為、各村々の上に草の道「グラスロード」が作られ、その道が利用されていた。人家と外輪山の高低差が400メートルもあり、更に草切り場までの片道の距離は10キロを有する為、刈り取った草の運搬は1日がかりの仕事であった。午前8時に家を出て、午後2時〜3時に帰宅する事が多かった。
 干草1把8キロを6束、牛馬の鞍背に乗せて運んだ。刈干の重量が48キロ、鞍が10キロ、約60キロを運搬した事になる。秋の終日から春上旬まで、雨や雪さえ降らなければ、毎日草運びに日が続いた。約5ヶ月、正味100日人家と外輪山の高低差800メートル。800メートル×100日=8万メートル。富士山3000メートルを27回登り下りした高さになる。又、歩行距離は一日20キロ。20キロ×100日=2000キロ。2000キロ÷42.195キロ=約47回。一年にフルマラソンの距離を47回歩いた事になる。
 それだけ先人の人たちは苦労も多かった事を意味する。こうした野焼き・放牧・採草等の人の営みによって、この阿蘇の自然が守られてきたのである。草原の維持こそが今後も水の保全函養の働きを良くしている事も多くの方に知ってもらいたい。草原は水の源だから。
 その他、野焼きは多くの野の花の増殖にも貢献している。阿蘇にはまだまだ知られざる秘境がある事も今後紹介していきたい。この草泊まりも、耕運機「トラクター」や自動車が発達するまでの、昭和32年頃まで実施されていた。牛馬での草積みも、この頃より衰退した。




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